幕末

5 【南部藩儒官山崎士謙(鯢山)について】 (北有馬太郎関係)

その一 北有馬太郎(本名中村貞太郎)の日記に山崎士謙を見るのは、弘化3年(1846)11月9日、「東白乃ち発す。(中略)独り山崎士謙送って品川に至る。途赤羽邸を過ぎる。山本君山、船曳環、津留崎銀蔵、亦送って高輪に至って別れを告げる」、とあるただ一度だけで…

4 【旗本久貝因幡守正典について】 (北有馬太郎関係)

(本稿以下Ⅵ稿迄は、『漂白の志士-北有馬太郎の生涯』上梓に際して調べた人物の一部です。参考までに掲載しておきます。)その一 下総佐倉藩士の倉田施報(幽谷・後安中藩儒官)が記した「北有馬百之略傳」に、「久貝氏賓師を以て君(北有馬太郎・本名中村貞太郎)…

3 【北有馬太郎の四人の弟たち】

1 「八木家系図」に見る弟たち 中村貞太郎(北有馬太郎の本名・括弧内は以後も筆者の注記)の家族に関しては、「喜多谷中村家系図」と、貞太郎の母の実家八木家の「八木家系図」で知ることができる。しかし、2つの系図には若干の相違があり、「喜多谷中村家系…

2 【北有馬太郎と西川練造】

その一 中村貞太郎(北有馬太郎の本名)の漢詩集「廣茅中村太郎先生詩稿」の嘉永3年(1849)の項に、「寄懐川越西川景輔」と題する次のような七言絶句(2首の中の1)がある。 一別茫々已五年 江城重到夢相牽 旧交雲散消息 満腹心懐誰與傳 この年の春、貞太郎は父…

1 【北有馬太郎と二人の尊王家】

1 はじめに 『漂泊の志士―北有馬太郎の生涯』は、筆者の幕末維新に関する人物探訪のすべての始まりであった。上梓の経緯は、この本の中で披瀝したが、ほかにも上梓を決意させるに至った忘れ難い二つの出来事があった。その一つは、回向院の北有馬太郎の墓所…