2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

9 【庄内藩脱藩士水野行蔵小伝】

1 その人となりと生い立ち 元館林藩士で、青森県参事などを勤めた塩谷良翰の『回顧録』に、「安藤閣老其(大老井伊直弼・括弧内は以後も筆者の注記)の跡を承け志士皆其為す所を怒り、人心恟々たり。塩谷宕陰、水野行蔵、其外慷慨憂国の名士屡々来りて時事を…

8 【宇野東桜(吉良七郎)関係資料について】

ここに掲げる宇野東桜に関する資料は、前稿Ⅶ「尊王攘夷党『虎尾の会』始末」をまとめるに際して確認したものです。宇野東桜は、文久3年正月13日に幕府の密偵として、長州藩士たちによって慘殺された人物です。その郷里高槻市には確認していないため、ごく限…

7 【尊王攘夷党「虎尾の会」始末】

1 尊王攘夷党「虎尾の会」の結成 出羽庄内清川村(山形県庄内町)の郷士清河八郎が、尊王攘夷の実践活動を決意したのは、万延元年(1860)3月の桜田門外の変であったという。その年の冬、大津彦五郎ら水戸天狗党激派の一部が霞ヶ浦北岸の玉造(茨城県行方市…

6 【志士伊牟田尚平について】(北有馬太郎関係)

その一 伊牟田尚平の幼名は伊勢吉、長じて茂時、また永頼といい、真風と号した。尚平は通称である。志士活動に際しては、相良武振や善積慶介の変名を用いている。天保3年(1832)5月25日に、薩摩国揖宿群喜入(鹿児島市)領主肝付兼善の家臣伊牟田倉左衛門と、…

5 【南部藩儒官山崎士謙(鯢山)について】 (北有馬太郎関係)

その一 北有馬太郎(本名中村貞太郎)の日記に山崎士謙を見るのは、弘化3年(1846)11月9日、「東白乃ち発す。(中略)独り山崎士謙送って品川に至る。途赤羽邸を過ぎる。山本君山、船曳環、津留崎銀蔵、亦送って高輪に至って別れを告げる」、とあるただ一度だけで…

4 【旗本久貝因幡守正典について】 (北有馬太郎関係)

(本稿以下Ⅵ稿迄は、『漂白の志士-北有馬太郎の生涯』上梓に際して調べた人物の一部です。参考までに掲載しておきます。)その一 下総佐倉藩士の倉田施報(幽谷・後安中藩儒官)が記した「北有馬百之略傳」に、「久貝氏賓師を以て君(北有馬太郎・本名中村貞太郎)…