2023-01-01から1年間の記事一覧

16の4 村上俊五郎について(明治13年~同34年)

13 再び『海舟日記』の中の俊五郎の姿を追うこととする。明治13年は1月1日に「滝村小太郎。村上俊の火鉢五ツ出来につき二十五円遣わす」とのみある。滝村小太郎は、徳川宗家の家夫溝口勝如の配下である。火鉢は徳川宗家からの注文だったのだろうか。火鉢一つ…

16の3 村上俊五郎について (明治2年8月―同12年)

9 小松崎古登女が村上家を去って間もなくのことだろうか、明治2年(1869)の8月、俊五郎は市中取締りを免じられ、新たに金谷原開墾方を命じられた。ちなみに、この前月には新番組(前年2月24日に精鋭隊として発足し同年9月29日新番組と改称)頭の中條金之助ら250…

16の2 村上俊五郎について (文久3年―明治2年)

5 文久2年(1862)の11月末には、幕府による大赦が、その翌月の8日には浪士召募の方針が決定した。そして、同月29日には村上俊五郎ら「虎尾の会」の同志たちが正式に赦免されている。清河八郎が仙台の桜田敬助と戸津宗之進に宛てた翌文久3年正月10日付けの書簡…

16の1 村上俊五郎について (天保3年―文久2年)

1 明治になってからの村上俊五郎は、虎尾の会や浪士組で共に活躍した石坂周造のような華々しい活躍とは真逆に、自らを「棄物」と自虐するほど堕落した半生を送った。しかし、そうした俊五郎の頽廃には、それなりの理由があったはずである。また、維新後の俊…

15の2 石坂周造について(2)

六 石坂周造は、下獄後5年近くを経た慶応4年(1868)3月15日に出獄し、かつての同志山岡鉄舟(鉄太郎)に預けられたという。その出獄は、山岡が徳川家軍事取扱勝海舟に交渉して実現したらしい。山岡鉄舟は石坂放免の前月、精鋭隊頭歩兵頭挌に任ぜられ、前将軍徳…

15の1 石坂周造について(1)

一 石坂周造に関しては、手元でも前川周治氏の『石坂周造研究』、真島節朗著『浪士石油を掘る』と松本健一著『「高級な日本人」の生き方』の中の一編「明治の石油王」が確認でき、その人物像は比較的広く知られている。そこで本稿では、主にこれらに記されて…

14の12 【中国地方以西の浪士組参加者たち】

熊本県域からの浪士組参加者たち(5名) 姓 名 年令 所属等 家族・出身地・その他参考 大内志津馬 37 7番組小頭 ●不明 ・細川越中守家来土門宇右衛門5男 ●肥後熊本産 当時播州姫路浪人 ●文久3年4月20日付池田徳太郎宛て岳父後藤亥之助の書簡中「兎角当地(…

14の11 【近畿地方の浪士組参加者たち】

兵庫県域からの浪士組参加者たち (6名) 姓 名 年令 所属等 家族・出身地・その他参考 大島一学 後に学 名・正照 38 5番組 後乱暴者取押役 ●妻1人 ・松平修理大夫高近家臣大島一学子 ●摂州西成郡三ツ谷村出生 ・当時江戸鎌倉町住居(鎌倉岸荒木堂) ●柳生心眼…