2024-01-01から1年間の記事一覧
8 謙介京に上る 文久2年5月以降で、大野謙介の姿を確認できる史料は、管見にして「住谷日記」のみである。僅かな断片記事ではあるが、その記述を追ってみよう。まず、5月11日の条に「大謙下り願不済事、圭木も下リハ六ケ敷様子也」とある。謙介の水戸下向の…
4 勝野豊作との親交 翌嘉永2年3月には、謙介の長年の艱難辛苦も報われ、徳川斉昭の藩政関与が許されることとなった。幕臣で儒者の林鶴梁(伊太郎)の日記の同年9月9日の条に、「児島恭介と有之手紙来ニ付、開封、一過之処、国元ゟ鮭一尾呈上仕度、野村ゟ申来云…
1 はじめに 水戸藩の郷士大野謙介の名を知る人は、おそらく皆無に近いだろう。その大野謙介について、水戸藩主徳川斉昭の股肱の臣藤田東湖が茅根伊予之助(為宜)に宛てた、弘化3年(1846)9月7日付け書中に次の詩詞と2首の七言絶句が記されている(高橋多一郎著…
1 出自と人となり 薩摩藩尊王攘夷派の志士有馬新七(正義・括弧内は原注とない限り筆者注記、以下同様)の「都日記」の中に、「此は秋の半過(安政5年)八月廿九日の夜になむありける。竊に日下部氏が(中略)家に至りて宿り、水戸の殿人鮎澤伊太夫、征夷府の…