2021-10-06から1日間の記事一覧

6 【志士伊牟田尚平について】(北有馬太郎関係)

その一 伊牟田尚平の幼名は伊勢吉、長じて茂時、また永頼といい、真風と号した。尚平は通称である。志士活動に際しては、相良武振や善積慶介の変名を用いている。天保3年(1832)5月25日に、薩摩国揖宿群喜入(鹿児島市)領主肝付兼善の家臣伊牟田倉左衛門と、…

5 【南部藩儒官山崎士謙(鯢山)について】 (北有馬太郎関係)

その一 北有馬太郎(本名中村貞太郎)の日記に山崎士謙を見るのは、弘化3年(1846)11月9日、「東白乃ち発す。(中略)独り山崎士謙送って品川に至る。途赤羽邸を過ぎる。山本君山、船曳環、津留崎銀蔵、亦送って高輪に至って別れを告げる」、とあるただ一度だけで…

4 【旗本久貝因幡守正典について】 (北有馬太郎関係)

(本稿以下Ⅵ稿迄は、『漂白の志士-北有馬太郎の生涯』上梓に際して調べた人物の一部です。参考までに掲載しておきます。)その一 下総佐倉藩士の倉田施報(幽谷・後安中藩儒官)が記した「北有馬百之略傳」に、「久貝氏賓師を以て君(北有馬太郎・本名中村貞太郎)…